“Norakuro” Capsule Collection

「のらくろ」の作者である田河水泡。
絵描きを志し錦絵複製の名人として知られている従兄弟の高見澤遠治に従事。
その後、徴兵され軍隊生活を送り1922年に除隊し帰国すると、日本美術学校の図案科を専攻し入学する。

在学中にドイツで新興芸術を研究して帰国した村山知義と知り合い、アトリエに遊びにいくうちに、村山が結成していた前衛芸術集団「マヴォ」に参加するようになる。
東中野に村山は三角形の妙なアトリエを建てて住んでいてメンバーは、そこに集まっては絵を描いたり、前衛踊りを踊ったりして、時間を共にしていた。
因みに『マヴォ』の雑誌の第三巻は、田河の色刷りの抽象画が表紙を飾っている。

この時代から田河は漫画のようなことをやったり、おかしな言葉を言ったりして、仲間たちを笑わせていたようです。

「マヴォ」解散後、田河は街頭装飾の仕事や新作落語の台本を書いたりして生計を立ていたが、「落語のような滑稽なストーリーを漫画に書いてみませんか?」と講談社の編集長から言われ、漫画へ踏み込み、「捨てられた不幸なかわいそうな犬でも、陽気に元気に生き生きと育っていく筋書きにすれば、世間の不幸な子供たちの励ましになるだろう」との思いから、「のらくろ」が誕生。

「のらくろ」は1931年の「少年倶楽部」1月号から連載開始。子供達の間で大人気となり、戦争が激化していく1941年に中止命令が出されるまで連載されました。
戦前としては異例の全10巻に及ぶ単行本が刊行され、アニメーションやレコード、玩具など次々に世の中にリリースされ、キャラクタービジネスの先駆けとなり、時代を代表する文化的アイコンになりました。

昭和40年代に戦前と同じ体裁の布貼り、箱入りというものが復刻されたのですが、本カプセルコレクションはその単行本をベースに製作しています。
印刷図案家(今で言うグラフィックデザイナー)を目指していただけあって、挿絵や付録などで出てくる「のらくろ」を使った図案集がとても面白いなと思っていたので、キャラクターとしての「のらくろ」に焦点を当てました。
その図案集を用いて千鳥格子柄やアラベスク柄を製作。またポートレートを用いたTEEシャツや、当時の宣伝用広告を使った総柄シャツやTEEシャツ。
田河水泡が「のらくろ」を掲げている著者の写真が印象的でしたので、キービジュアルとして使っています。

田河のもとには、杉浦茂や長谷川町子といった才能溢れる弟子たちが集まっていました。
「のらくろ」のヒットで漫画の土壌ができ、手塚治虫などの新たな才能を育む土壌ができたと言います。
日本の漫画キャラクターの祖とも言える「のらくろ」。
このコラボレーションをきっかけにして、様々な分野に影響を及ぼした「のらくろ」の足跡を再発見していただけたらと思います。

晩年に執筆した著書の「滑稽の研究」で田河はこのように述べています。

「価値が有ろうが無かろうが、滑稽は人々を楽しませ、社会を明るくし、人間の生活にうるおいを与える潤滑油の働きをしているので、その効用は高く評価されていることは周知のことです。」